栗山真 - 打てば響く

ドラム・パーカッションを主に演奏する書き手の小説や洋楽英詞和訳など執筆活動記録。また音楽活動とそれらを継続させるための健康活動を記録しています。

【小説】第37回太宰治賞に応募しました。

 

 

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栗山真です。
12月10日〆切の第37回太宰治賞に小説HKを当日消印有効で応募しました。四百字詰め原稿用紙換算50枚〜300以内規程で162枚。

 

公募勢に知見を共有しますと、太宰治賞は「WEB投稿なし、郵送のみ可・当日消印有効」ですが、わたしの場合「〆切の12月10日にプリントアウトした原稿を右上にクリップ留め、レターパックライト、24時間受付の郵便局店頭で『当日消印有効でお願いします』といって投稿」しました。審査通過した方でも律儀に穴を開けて通し紐でまとめずにクリップ留めしていたらしいので倣いました。確かに審査する方の立場で考えると、まとめ方とかは瑣末なのかなと。

 

 

Twitterでやってる進捗日記をもとに振り返ってみると、11月9日ほぼ〆切の1ヵ月前に路線を変更しているのが伺えます。そもそもここでいう「小説C」を太宰治賞用として温めておりまして、200〜300枚くらいにまとめて投稿しようとしていました。急遽予定を変更して「小説A」→「小説HK」(表記ぶれ)を中編に膨らませたかたちとなります。

 

下記は自分の整理のために記しておくことですが、小説は本来高橋源一郎氏が著作で語ったように「テーマをつかまえた」ときにこそ書くべきだと考えています。そして11月9日当時は「『小説HK』をある程度の分量を個人的に書くべきなのではないか、何よりも自分の心の安寧のために」と考えました。

 

というのも、フリートやインスタグラムのストーリーでご覧になられた方は理解できる内容だと思うのですが、小説HKは今日性には優れているけれども、いかんせんプライベートに過ぎる話なのです。率直に言って受賞は狙えないと考えています。

 

でも個人的には書いてよかった、と考えている話でもあります。ツイートに書いてあるように百枚見当の反射神経で書いた話ですが百六十二枚に落ち着いたのは「この要素を書くのならあれを書かなければ嘘だろう」とずっと俯瞰で見ていたからだと思います。というか、書いた動機自体が「いまこれを書かなければ嘘だろう」の極地だったのではないかと。ここ二・三年ずっとなのですが感覚のチューニングや小説を書く筋肉のリハビリをしている意識がずっと続いており、ある種で治療の一環であったと言えるかもしれません。

 

「その小説を書いた前後で書き手の内部でなんらかの変化がなければ意味がない」と、小説を書く人の中でよく囁かれる文句がありますが、今後「なぜ小説を書くのか、なぜ小説なのか」と言う問いについて、借り物ではないある程度自分自身が腑に落ちる回答が出せるようになったと思います。良い変化は次回以降に書く話にきっと良い影響を与えてくれるんじゃないかと。そう願いたいだけかもしれませんが。

 

賞に応募したよ、というエントリですが、たまには自分自身のために小説を書くべきだなーと思いました、というそんな記録でした。いろんなところで表現・創作に携わる人と関わる中で、悲壮感あふれてる人とかいくら見送ってきたことか。そういうめんどくさいのに巻き込むのも巻き込まれるのもちょっとわたしは遠慮します。みんな多かれ少なかれ抱えてるだろうし、そういうのはそもそも聞かれたり芸にしない限り個人で処理する案件ですしね。

 

書くことを楽しむ、って単純な姿勢でいたいものです。結局はそれが長続きする。良い悪いや好き嫌いは受け手の主観に拠るものが大きいし、他人の目を気にしてたら疲れるだけ。そういう原点の心境に立ち戻ってこれたのは今回の収穫なんじゃないかと考えています。

という訳で現在は途中で宙ぶらりんになってたけど書きたい欲が強い小説C、プロットだけだったけれど本文に着手しはじめた自分の中で実験作の小説G、面白い予感しかしない小説Iに取り組んでおります。どれも200〜250枚見当。年度末この3つすべては無理だとしても1、2本は出したいもんです。やれるだけがんばっていきましょう。



次の投稿は2021年1月末と年度末!(きっと)